1965年に大阪で創業したwedsは、1969年に日本初のカスタムホイールとなる “Elstar”(エルスター)を、
1977年には日本初となるアルミ鍛造3ピースホイール“RACINGFORG”(レーシングフォージ)を世に送り出してきました。
その後も数々のエポックメイキングなホイールを創出するトップメーカーとして、
これまで日本のカスタムホイール業界を牽引して参りました。
そのwedsは、本年10月に創立60周年を迎えることとなり、これもひとえに弊社を支えて頂きました沢山のお客様を始め、
社員の皆様や当社と共に歩んでくださった皆様のご厚情の賜物と、心より御礼申し上げます。
60周年の記念となる本年は、変わりゆく環境の中でもチャレンジをし続け、
カスタムホイール業界や自動車業界の更なる発展に寄与して参ります。
今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう お願い申し上げます。

MESSAGE

メッセージ

創業60周年を迎えましたこと、私たちにとって大変喜ばしい節目です。
ここまで会社を存続できましたのも、当社は常に変化する市場に対応し、前向きにアプローチを行いまた、技術も進歩させお客様に最高の製品を提供し続けることを使命とし、常に新しいチャレンジを継続してきたことの賜物と信じています。
60周年を迎える今、私たちは過去を振り返りつつ、未来に向けてさらなる成長と発展を目指して進んでまいります。
お客様、社員の皆様、当社と共に歩んでくださった皆様に心から感謝申し上げます。
これからも皆様と共に歩んでいけることを楽しみにしています。
最後に、創業から60年間の長い歴史を支えてくださったすべての方々に心から感謝申し上げます。
これからもより一層のご支援とご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

HISTORY

wedsの歩み

第1章:創業

1965年、初代社長となる根津昭が川崎稔や江口和幸らとともにウェッズの前身となる日宝を大阪の西区に設立。設立当初は日産自動車系列のディーラー向けに自動車用機械工具などを販売していた。その頃に入社した上坂良夫も事業に貢献し、事業は順調に拡大したが、社員の負担も増加。根津は新たな商売の核を探しており、その思いが4年後に実現する。

日本ではモータリゼーションが進み、トヨタやホンダ、日産などが大衆車を市場に投入したことにより、若者たちの間ではクルマのチューニングやモータースポーツが流行し、クルマ社会が成長。アメリカでも若者によるロードレースが盛んで、市場ではチューニングパーツやワイドタイヤの需要が高まった。

日宝の転機は日本シーラントとの出会いにより訪れる。根津が通っていた慶応義塾大学のラグビーで同じ汗をかいた山本忠彦が日本シーラントに勤めており、山本の紹介で同社の社長である幼馴染の木下幹弥と再会。木下を通じて中央精機のメッキホイール「エルスター」を取り扱うこととなり、西日本代理店として販売を開始。これが若者にヒットし、日宝はホイール販売の地位を確立。根津はさらにマーケットニーズを早く的確に収集し強い販売基盤を持つことを経営に取り入れ、会社の成長を続けていった。

第2章:初期発展期

1973年、日宝は日本シーラントのホイール部門を譲り受け、「エルスター」などの全国販売を開始。同時に社名をウェッズに変更し、本社を東京へ移転。新社名ウェッズ(WEDS) は「World Elstar Distributor System」の略でカスタムホイール「エルスター」の商品名に由来している。

株主構成は1/3が中央精機、1/3がウシオ電気、1/3がウェッズの社員持ち株とした。しばらくするとウシオ電機が独立路線を歩む事となり、ウェッズの株を売却し、ウェッズは一時的に中央精機の子会社となりトヨタ自動車の連結決算対象となる。

新生ウェッズは新社長に日本シーラントの木下幹弥が就任。根津昭が役職を交替しながらも経営を続け、従業員との信頼関係を重視していた。1972年に発足した「スポーツホイール販売店協会」、後の「JAWA」にも参画。

1974年のオイルショックによる厳しい経済状況でも、国内自動車市場は成長を続け、ウェッズも多種多様なアルミホイールの需要に対応。根津はアルミホイールに注目し、アメリカンハイパフォーマンス社と契約し、アルミホイール「AHP」の販売を開始。

新倉庫付きの本社を東京都品川区に構え、本格的なホイールビジネスを開始。ウェッズの「エルスター」は好調で、1977年には日本初のアルミ鍛造3ピースホイール「レーシングフォージ」を販売。他にも「ストラートフォージ」や「ヨーロピアン」など、毎年新商品を投入し勢力的に販売を続けた。

1985年から「WedsSport」ブランドでモータースポーツに本格参入。全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権(現在のSUPER GTシリーズ)に参戦し、2009年度のSUPER GTシリーズではGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得するなど、高い評価を得た。

第3章:高度成長期

2000年代に入り、モータースポーツとカスタマイズ・ビジネスが成長する中、ウェッズは自社ブランド「エルスター」の成功に続き、アルミホイール市場にも本格参入。当時のアフターマーケット産業の一環として、各自動車メーカーもモータースポーツパーツやカスタマイズパーツ販売にも力を入れていた。

1987年、ウェッズとダイシン商事は対等合併。新生ウェッズの本社は愛知県安城市に置かれ、社長には麦田時春が就任。合併後、冬用スチールホイールの販売が強固となるが、冬用アルミホイールの生産体制の課題にも直面。根津は台湾の協力工場と協議し、生産の平準化とコスト削減を図る。

1990年、愛知県岡崎市に大型物流倉庫を設立。中央精機と共同で1992年に物流会社「ロジックス」を設立し、一貫した物流システムを構築。物流センターは全国各地に拡大していった。

1995年、上坂良夫が社長に就任。上坂は自動車用品販売店「カーランドバーデン」を開店し、自社の販売網を強化。ウェッズの商社機能を活かし、全国流通網の整備や商品開発を進めた。また、海外研修旅行などを通じて社員の団結力を高める取り組みも継続した。

ウェッズは次々と全国に営業所や物流倉庫を開設し、効率的なサプライチェーンを確保。自動車用品市場においても存在感を強め、独自のブランドと流通網を築き上げていった。

第4章:積極経営期

ウェッズは、商品数の増加や流通部門の拡大に伴い、人材育成に積極的に取り組み、世古典生副社長が「人材こそウェッズの財産」と研修会を開催。株式上場を目指し、1997年に店頭登録を果たす。上場により経営の透明化が求められ、重い責任を感じながらも、ウェッズの業績は順調に伸ばした。

2003年、川口修が社長に就任し、「ウェッズルネッサンス宣言」を発表。ウェッズの自動車関連部門を分社化し、株式会社バーデンを設立。高齢化社会に対応するため、安城市に高齢者複合福祉施設「グレイシャスビラ安城」を開設。2006年には3ピースホイールメーカー「スーパースター」を買収し、製造から販売までの体制を強化。

2010年、中国市場への進出を決定し、中国法人を設立。2011年の東日本大震災では迅速に支援活動を行い、被災地域の復旧に協力。

2013年、稲妻範彦が社長に就任し、川口は相談役となる。稲妻は社員のチャレンジ精神を重視。「若々しい社風」を目指し、取締役の若返りも図られた。ウェッズは「常に新しく価値ある商品を創造し社会に貢献する」の理念を掲げ、今も持続的な成長を目指している。

2023年、石田純一が社長に主任し、現在の業界でのポジションをさらに発展させ、業界断トツを目標に「絶え間ないチャレンジで、業界のリーディングカンパニーを目指しています。」

第5章:ブランド確立

ウェッズは日本のモータースポーツと共に発展。1977年、日本初のアルミ鍛造3ピースホイール「RACING FORGE」を発売し、「マイナーツーリングカー選手権」に参戦。1980年代には「WedsSport」ブランドを立ち上げ、スポーツホイールや様々なチューニングパーツを開発販売。また「TRD」「NISMO」「MAZDA SPEED」などのメーカースポーツパーツの販売も順調に売り上げを伸ばしました。

バブル期には全国にサーキット場が建設され、参戦型レースが増加。ウェッズは「全日本ツーリングカー選手権(Gr.A)」や「全日本GT選手権(JGTC)」に参戦し、軽量ホイール「WedsSport Racing/RS-5」や「WedsSport TC05」を装着、表彰台を多数獲得。2000年代はレース活動が縮小する中、「Netz Cup」の「ヴィッツレース」、「アルテッツァレース」では多くの支持を集めた。

2001年以降、「スーパーGT選手権(SUPER GT)」に参戦。「WedsSport MR-S」や「WedsSport IS350」がシリーズチャンピオンを獲得。2011年にはGT500クラスに「WedsSport ADVAN SC430」が参戦し、100戦超えの達成が表彰される。2014年、脇阪寿一選手を迎え「WedsSport ADVAN RC F」で注目を集め、また様々な国内の参加型レースやラリーでのホイールサプライヤーとして高い装着率を誇ります。

ウェッズは高品質なホイールを提供し続けるとともに、カーボンホイール開発など新しい挑戦を続けている。ブランド認知向上のため、レース参戦やSNSでの情報発信、東京オートサロンなどのイベントへの出展、全国各地でのプレミアムホイール商談会やMOTORSPORTで活躍するドライバーやチーム監督、レースクイーン等出演するトークショーを開催。顧客に信頼される存在であり続けるため、様々な活動を展開している。

第6章:さらなる挑戦
2020年代も、ウェッズは進化の歩みを止めることなく、新たな挑戦を続けています。
2020年には、新開発の「ハブフィットセンターキャップ」を発売し、機能性とデザイン性を兼ね備えたホイールを実現しました。
2021年には「MUD VANCE06」が大ヒットを記録し、SUV市場におけるウェッズの存在感を高めました。
モータースポーツシーンにおいても、輝かしい結果を残しており、
2021年ではSUPER耐久レース第3戦にて優勝を掴み、
2023年のSUPER GT 第3戦鈴鹿にて7年ぶりの優勝を達成しました。
そして2024年には、バイクチューニング界のレジェンド「YOSHIMURA JAPAN」とコラボレーションし、唯一無二のオリジナルアルミホイール「ヨシムラWRS Seven」を発表。
これからも更なる高みを目指し、挑戦を続けていくことでしょう。
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第1章:創業

1965年、根津昭が川崎稔や江口和幸らとともに大阪の西区に日宝を設立。設立当初は日産自動車系列のディーラー向けに自動車用機械工具などを販売していた。後に上坂良夫が社長となり、事業は順調に拡大したが、社員の負担も増加。根津は新たな商売の核を探しており、その思いが4年後に実現する。

日本ではモータリゼーションが進み、ホンダやトヨタ、日産などが大衆車を市場に投入。若者たちの間でモータースポーツが流行し、クルマ社会が成長。アメリカでも若者によるロードレースが盛んで、市場ではチューニングパーツやワイドタイヤの需要が高まった。

日宝の転機は日本シーラントとの出会いにより訪れる。根津の教え子である山本忠彦が日本シーラントに勤めており、山本の紹介で同社の社長である幼馴染の木下幹弥と再会。木下を通じて中央精機のメッキホイール「エルスター」を取り扱うこととなり、西日本代理店として販売を開始。これが若者にヒットし、日宝はホイール販売の地位を確立。根津はさらにマーケットニーズを早く的確に収集し強い販売基盤を持つことを経営に取り入れ、会社の成長を続けていった。

第2章:
初期発展期

1973年、日宝は日本シーラントのホイール部門を譲り受け、「エルスター」などの全国販売を開始。同時に社名をウェッズに変更し、本社を東京へ移転。株主構成は第三者とも分かれていたが、後にウシオ電機が株を売却し、ウェッズは一時的に中央精機の子会社となる。

新社名WEDSは「World Elstar Distributor System」の略で、元社長は日本シーラントの木下幹弥。根津昭が役職を交替しながらも経営を続け、従業員との信頼関係を重視していた。1972年に発足した「スポーツホイール販売店協会」、後の「JAWA」にも参画。

1974年のオイルショックによる厳しい経済状況でも、国内自動車市場は成長を続け、ウェッズも多種多様なアルミホイールの需要に対応。根津はアルミホイールに注目し、アメリカンハイパフォーマンス社と契約し、アルミホイール「AHP」を販売。

新倉庫付きの本社を東京都品川区に構え、本格的なホイールビジネスを開始。ウェッズの「エルスター」は好調で、1977年には日本初のアルミ鍛造3ピースホイール「レーシングフォージ」を販売。他にも「ストラートフォージ」や「ヨーロピアン」など、毎年新商品を投入し続けた。

1985年から「WedsSport」ブランドでモータースポーツに本格参入。全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権(現在のSUPER GTシリーズ)に参戦し、2009年度のSUPER GTシリーズではGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得するなど、高い評価を得た。

第3章:
高度成長期

2000年代に入り、モータースポーツとカスタマイズ・ビジネスが成長する中、ウェッズは自社ブランド「エルスター」の成功に続き、アルミホイール市場にも本格参入。当時のアフターマーケット産業の一環として、各自動車メーカーもモータースポーツパーツやカスタマイズパーツに力を入れていた。

1987年、ウェッズとダイシン商事は対等合併。新会社ウェッズの本社は愛知県安城市に置かれ、社長には麦田時春が就任。合併後、冬用スチールホイールの販売が強固となるが、冬用アルミホイールの生産体制の課題にも直面。根津は台湾の協力工場と協議し、生産の平準化とコスト削減を図る。

1990年、愛知県岡崎市に大型物流倉庫を設立。中央精機と共同で1992年に物流会社「ロジックス」を設立し、一貫した物流システムを構築。物流センターは全国各地に拡大していった。

1995年、上坂良夫が社長に就任。上坂は自動車用品販売店「カーランドバーデン」を開店し、自社の販売網を強化。ウェッズの商社機能を活かし、全国流通網の整備や商品開発を進めた。また、海外研修旅行などを通じて社員の団結力を高める取り組みも継続した。

ウェッズは次々と全国に営業所や物流倉庫を開設し、効率的なサプライチェーンを確保。自動車用品市場においても存在感を強め、独自のブランドと流通網を築き上げていった。

第4章:
積極経営期

ウェッズは、商品数の増加や流通部門の拡大に伴い、人材育成に積極的に取り組み、世古典生副社長が「人材こそウェッズの財産」と研修会を開催。株式上場を目指し、1997年に店頭登録を果たす。上場により経営の透明化が求められ、重い責任を感じながらも、ウェッズの業績は順調に伸びた。

2003年、川口修が社長に就任し、「ウェッズルネッサンス宣言」を発表。ウェッズの自動車関連部門を分社化し、株式会社バーデンを設立。高齢化社会に対応するため、安城市に高齢者複合福祉施設「グレイシャスビラ安城」を開設。2006年には3ピースホイールメーカー「スーパースター」を買収し、製造から販売までの体制を強化。

2010年、中国市場への進出を決定し、中国法人を設立。2011年の東日本大震災では迅速に支援活動を行い、被災地域の復旧に協力。

2013年、稲妻範彦が社長に就任し、川口は相談役となる。稲妻は社員のチャレンジ精神を重視。「若々しい社風」を目指し、取締役の若返りも図られた。ウェッズは「常に新しく価値ある商品を創造し社会に貢献する」の理念を掲げ、持続的な成長を目指している。

2023年、石田純一が社長に主任し、現在の業界でのポジションをさらに発展させ、業界断トツを目標に「絶え間ないチャレンジで、業界のリーディングカンパニーを目指しています。」

第5章:
ブランド確立

ウェッズは日本のモータースポーツと共に発展。1977年、日本初のアルミ鍛造3ピースホイール「RACING FORGE」を発売し、「マイナーツーリングカー選手権」に参戦。1980年代には「WedsSport」ブランドを立ち上げ、スポーツホイールや様々なチューニングパーツを販売。「TRD」「NISMO」などのメーカーパーツの販売も強化。

バブル期には全国にサーキット場が建設され、参戦型レースが増加。ウェッズは「全日本ツーリングカー選手権(Gr.A)」や「全日本GT選手権(JGTC)」に参戦し、軽量ホイール「WedsSport Racing/RS-5」や「WedsSport TC05」を装着、表彰台を多数獲得。2000年代はレース活動が縮小する中、「Netz Cup」や「ヴィッツレース」、「アルテッツァレース」で支持を集めた。

2001年以降、「スーパーGT選手権(SUPER GT)」に参戦。「WedsSport MR-S」や「WedsSport IS350」がシリーズチャンピオンを獲得。2011年にはGT500クラスに「WedsSport ADVAN SC430」が参戦し、100戦超えの達成が表彰される。2014年、脇阪寿一選手を迎え「WedsSport ADVAN RC F」で注目を集めている。

ウェッズは高品質なホイールを提供し続けるとともに、カーボンホイール開発など新しい挑戦を続けている。ブランド認知向上のため、レース参戦やSNSでの情報発信、東京オートサロンなどのイベントへの出展、全国各地でのプレミアムホイール商談会を開催。顧客に信頼される存在であり続けるため、様々な活動を展開している。

第6章:
さらなる挑戦
2020年代も、ウェッズは進化の歩みを止めることなく、新たな挑戦を続けています。
2020年には、新開発の「ハブフィットセンターキャップ」を発売し、機能性とデザイン性を兼ね備えたホイールを実現しました。
2021年には「MUD VANCE06」が大ヒットを記録し、SUV市場におけるウェッズの存在感を高めました。
モータースポーツシーンにおいても、輝かしい結果を残しています。
2021年にはSUPER耐久レース第3戦にて優勝を掴み、
2023年にはSUPER GT 第3戦鈴鹿にて7年ぶりの優勝を達成しました。
そして2024年には、バイクチューニング界のレジェンド「YOSHIMURA JAPAN」とコラボレーションし、唯一無二のオリジナルアルミホイール「ヨシムラWRS Seven」を発表。
これからも更なる高みを目指し、挑戦を続けていくことでしょう。
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